東京地方裁判所 平成5年(ワ)9116号 判決 1994年7月25日
原告
甲藤乙子
右訴訟代理人弁護士
山崎馨
秋山清人
被告
医療法人社団十全会
右代表者理事長
甲藤丙夫
右訴訟代理人弁護士
菅井敏男
山下純正
主文
被告は原告に対し、一〇八万〇七五四円及びこれに対する平成五年五月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、この一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は原告に対し、二九六万八〇〇〇円及びこれに対する平成五年五月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告の元従業員であった原告が被告に対し退職金を請求した事案である。
一 争いのない事実
1 原告は、被告に雇用されて保険関係等の事務に従事していたが、平成四年二月六日退職した。
2 被告には就業規則二八条に基づいた給与規則が制定されており、この規則のうち本件と関係のある二四条には「職員が退職した場合には、この章の規定により退職金を支給する。以下略」、二五条には「退職金の額は退職当時の本給に別表に定める勤続期間に応じた支給率を乗じて得た金額とする。」、二六条には「次の各号に該当するものに対する退職金の額は別表(甲)表により算定する。1 病院の都合によるとき。2 在職中死亡したとき。3 業務上の傷病により退職のとき。自己都合によるときは(乙)表により算定する。」、二七条「勤続期間は入職から退職までの期間とする。以下略」とそれぞれ定められており、そして、右別表に定める支給率は、勤続期間一二年で被告の都合によるときは本給に一七・八を乗じ、自己都合によるときは本給に一七・八の六五パーセントを乗じると定められている。
二 争点
1 原告の退職金額を算出することにある。
退職金算出の基礎となる勤続期間(雇用年月日)、基本給(但し、給与規則上は本給)の額、退職事由(被告都合か原告都合か)が争われている。
(原告の主張)
原告の本給は二六万五〇〇〇円、勤続期間は八年一〇月、被告の都合による解雇であるから、この場合の支給率は一一・二である。
したがって、原告の退職金は二九六万八〇〇〇円となる。
(被告の答弁)
原告の本給は一三万二五〇〇円、勤続期間は一二年、自己都合による退職であるから、この場合の支給率は一一・五七である。
したがって、原告の退職金は一五三万三〇二五円となる。
2 相殺の抗弁の成否
(被告の主張)
被告は、平成五年八月三一日の口頭弁論期日において、原告のための立替金債権として左記のとおり一九八万五二九六円を有するので、右債権をもって原告の請求債権と対当額で相殺する旨の意思表示をした。
記
(一) 社会保険料 一三一万五三九六円
(内訳)
昭和六三年度分二七万九七二四円
平成元年度分三一万〇六四七円
同二年度分三四万二六三四円
同三年度分三五万二九四九円
同四年一月分二万九四四二円
(二) 源泉徴収所得税 三九万六六〇〇円
(内訳)
昭和六三年度分一一万二二〇〇円
平成元年度分九万五七〇〇円
同二年度分八万九〇〇〇円
同三年度分九万三二〇〇円
同四年一月分六五〇〇円
(三) 源泉徴収地方税 二七万三三〇〇円
(内訳)
昭和六三年度分七万五〇〇〇円
平成元年度分七万一八〇〇円
同二年度分六万三四〇〇円
同三年度分五万八四〇〇円
同四年一月分四七〇〇円
(原告の答弁及び主張)
被告が原告のためにその主張するような立替払をなしたことはない。
仮に、被告がその主張するような立替払をなしたとしても、被告は原告に対し、この立替払債務を免除した。
また、被告が右立替払債権をもって右相殺をなすことは労働基準法二四条の法意に照らし許されない。
第三争点に対する判断
一 退職金について
1 勤続期間について
原告は、被告に雇用されたのは昭和五八年四月一日であると主張し、原告も同旨の供述(陳述書を含む。)をする。
しかし、証拠(<証拠略>)によると、被告理事長甲藤丙夫(以下「丙夫」という。)は、原告の兄にあたるところ、原告が昭和五三年五月に協議離婚しホステスをしていたことから身の上を案じた母甲藤丁子(以下「丁子」という。)から被告において雇用して欲しい旨懇請されたことから、これを受入れることとし、そこで、昭和五四年八月一日、原告を事務員として雇用し、以後保険関係等の事務に従事させてきたことを認めることができる。
したがって、原告の勤続期間は昭和五四年八月一日から平成四年二月六日までの一二年六月となる。
2 基本給について
証拠(<証拠略>)によると、原告の平成四年一月当時の基本給(但し、給与規則上は本給)は二六万五〇〇〇円であることを認めることができる。
被告は、原告の基本給は一三万二五〇〇円であり、これに職務手当六万円、調整手当七万二五〇〇円を加えた金額が二六万五〇〇〇円である旨主張し、被告代表者(陳述書を含む。)も同旨の供述をする。
なるほど、(証拠略)の「退職給与引当金計算書」には原告の基本給が一三万円である旨の記載がなされており、(証拠略)の賃金台帳には原告の平成四年一月の基本給が一三万二五〇〇円、職務手当が六万円、調整手当が七万二五〇〇円と記載されており、被告の給与体系は、給与規則上基準給与が本給とその他の諸手当で構成されている(三条)ことと、右記載内容を被告の他の従業員、例えば、事務の最高責任者である事務長との対比でみるに、(証拠略)によると、平成四年一月の基本給が一五万五〇〇〇円、資格手当が八万五〇〇〇円、職務手当が七万円であることが認められ、原告の基本給が二六万五〇〇〇円であると認めることはいかにも不自然であって、右記載内容は真実で被告代表者の供述は一応信用できるかのようである。
しかし、右退職給与引当金計算書は被告の従業員が退職するに際しての退職金の計算基礎数額を記載した被告の内部文書であり、右賃金台帳も被告の内部文書に過ぎず、原告に対する職務手当及び調整手当の趣意並びにこれらの額が右のように高額となっている理由は被告代表者の供述をもってしても首肯することが困難である。そして、被告が作成して原告に表示した(証拠略)の給料支払明細書には基本給として二六万五〇〇〇円と記載されているのであり、被告が原告を雇用するに至った前述の経緯等をあわせ考慮すると、原告の基本給が二六万五〇〇〇円であると認めることも首肯できないことではない。
したがって、原告の基本給は二六万五〇〇〇円と認める。
3 退職事由について
証拠(<証拠略>)によると、丙夫は、平成四年二月三日、原告に丁子の預金解約の件について尋ねたところ、原告は、泥棒呼ばわりされたといってこれに激昂し、直ちに退職する旨述べたこと、これに対し、丙夫は、仕事の一応の段取りをつけたうえで退職するように説得したところ、原告もこれを容れて前述のとおり退職するに至ったことを認めることができる。
原告は、原告の退職は被告の強要によるもので、その実質は解雇である旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
したがって、原告の退職は給与規則上の自己都合退職にあたる。
4 退職金額について
以上認定した事実を給与規則に当てはめると、原告の退職金額は三〇六万六〇五〇円となる。
二 相殺の抗弁の成否について
証拠(<証拠略>)によると、原告の昭和六三年度分以降平成四年一月までの社会保険料、源泉徴収所得税及び地方税額は被告の主張するとおりであること、被告の就業規則三一条には「賃金は毎月末日に通貨をもって全額を直接本人に支給する。但し、次に掲げるものは支払の時に控除する。1給与所得税 2地方税 3社会保険料 4食費」と定められていること、そこで、被告が原告に対して毎月発行していた給与支払明細書の控除額欄には控除種目として健康保険料、厚生年金、雇用保険料、所得税及び住民税がそれぞれ控除金額とともに記載されていたこと、被告は原告に対し、給与を支給するに際し、右各種控除をなしたうえでその支給をなすべきであったが、この控除をすると原告が非常な不満を述べたので、この控除をしないまま支給し、この控除相当分は被告において原告のために立替払をなしてきたこと、以上の事実を認めることができる。
原告は、被告が原告の右立替払債務を免除した旨主張するが、被告が右控除をしなかったのは右に認定した理由によるものであり、これを免除したことを認めるに足りる証拠はない。
さらに原告は、被告の相殺の抗弁は労働基準法二四条の法意に照らし許されない旨主張する。
なるほど、本件退職金は前述したとおり給与規則においてその支給条件が予め明確に規定されているので被告が当然にその支払義務を負っていることから労働基準法一一条の労働の対価としての賃金に該当するということができる。しかし、右控除種目はいずれも法令上のみならず就業規則上においても根拠を有し、その控除額も法令上明確であり、原告と被告との間において控除されることが予め認識されている本件にあっては、退職金債権と相殺することも許されるというべきである。
そうすると、原告の退職金債権額は右の相殺により一〇八万〇七五四円となる。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 林豊)